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Volksgartenからはリング通りの外側にある市庁舎の尖塔や北に隣接したブルク劇場が見え (左)、北東隅にひっそりとSisiが (左★・中)。王宮庭園に夫の立像が・・・・ (右)

続 ウィーンを愛して(4)シシィとシェーンブルン

マリア・テレジア広場に立つ大きな像 (左・中)。像の正面には王宮門 T(地図青色矢印の先)と王宮SH

 ウィーンのハプスブルク家ゆかりの地を訪ねましょう。2017年は、生誕300年の“国母”として敬愛されているマリア・テレジアと、同180年の愛称“Sisiシシィ”こと皇妃エリザベートのウィーンの象徴的な女性二人にスポットを当てます。
 城塞都市であったウィーンですが、城塞を壊したのがフランツ・ヨーゼフI世で、皇妃がSisiです。城塞跡はリング通り(地図オレンジ色)として親しまれ、周囲には重要な建物が多々あります。トラムは両方向に走っていますが、自動車は時計回りの一方通行です。国立歌劇場Staatsoper(SO)前から時計回りに進むと、リング道路の内側に王宮庭園Burggarten(BG)、新王宮Neue Burg(NB)、王宮門(Burgtor)Tと英雄広場(Heldenplatz)HP、市民庭園(Volksgarten)VG、ブルク劇場(Burgtheater)BTと続きます。質・量の名画等が充実し、秀逸な環境の美術史美術館(Kunsthistorisches Museum;KHM)がリング通りの外側にあります。KHMの正面前はマリア・テレジア広場(Maria-Theresien-Platz)で、マリア・テレジアの大きな像があり、Tを正面にして鎮座しています。

 王宮の建物群に示したSがSisi博物館(Sisi Museum)で、Hは日曜日のミサには専属のウィーン少年合唱団が歌う王宮礼拝堂(Hofburg)です。(付:黄色帯の道路は歩行者天国)
 ヨーゼフとSisiが暮らしたSでは、Sisiの生涯を学ぶことができます。
 王宮天蓋の下にSの入口があります。シェーンブルン宮殿のグランドツアーとのコンビチケットの購入がオススメです。常に混雑しているシェーンブルン宮殿と比べて、容易に購入できます。

王宮天蓋の下にあるSisi博物館入口(左)。Sisiの肖像画群(中上)とシェーブルン宮殿とのコンビチケット(中下)。Sisiを愛し続けた夫ヨーゼフが好んだケーキと珈琲を王宮カフェで食体験(右)

 入場券には各々無料の日本語ガイド機も含まれており、Sでは、彼女の生涯をドラマチックに学ぶことで、最後は暗殺されるSisiに関心を深めることになります。同行した彼女らと同様、きっとアナタもファンになるでしょう。

 残念ながら、館内は撮影禁止・・・。そうとは知らず、ノーフラッシュで博物館入口にあったシルエットを撮影したのは2012年5月に初めて訪れた際で、Sisiのウェストの細さが目立ちます。当代随一の美女と評されたSisiに会うために国外から賓客が訪れ、Sisiが公園等に出かける際には多くの市民が集った由で、共感します。
 Sisiの人生に魅せられていく彼女たちのペースに合わせて見学した後は、宮殿であった博物館の地上階にある[Cafe Hofburg](王宮カフェ)で休憩を。テラス席も良いですが、建物の中は日本にはない環境・雰囲気なのでオススメです。智頭病院の二人(看護師長)を伴った2016年5月は、皇帝フランツ・ヨーゼフI世(1830~1916)の没後150年で、[Cafe Hofburg]の店内には、皇帝の肖像と共に、好んだカフェ・メニューが紹介されていました。
 KAISERJAUSE(皇帝の午後の珈琲タイム)の題で、写真入りの内容は、APFELSTRUDEL(アプフェルシュトゥルーデルはウィーン定番の菓子で、固めのクロワッサンを想起するシュトゥルーデル生地で調理したリンゴを巻いた菓子)とWIENER MELANGE(エスプレッソ珈琲にミルクを加え、その上からミルクの泡を乗せたウィーンの定番)で、勿論、何時でも、どこのカフェでも注文可能なウィーン定番の品です。
 小休憩後は、建物の中を避け、界隈の庭園を歩きましょう。
 まずはHPを抜けてVGへ。Sisiに会いに行きますネ!

Volksgartenからはリング通りの外側にある市庁舎の尖塔や北に隣接したブルク劇場が見え(左)、北東隅にひっそりとSisiが(左★・中)。王宮庭園に夫の立像が・・・・(右)

 ウィーンは公園都市です。ロンドンには中心部にハイド・パーク、グリーン・パーク、セント・ジェームズ・パーク、リージェンツ・パークなど大きな公園・庭園があり、公園都市として有名ですが、ウィーン然りです。リング界隈、郊外を含めて、公園・庭園巡りもウィーンの魅力なのです。
 BGと比べて広いVGは薔薇園が充実しています。薔薇を愛でながら歩きましょう。Sisiは、北東端の木立に囲まれた奥まった場所、いわば喧騒を避けた地で静かにひっそりと佇んでおり、結果的に訪れる人が少ないと感じます。大衆の目に晒されにくいのは、今となればSisiにふさわしい場所と言えるのかも知れません。
 Sisiが主役の、珍しくウィーン発のミュージカル【エリザベート】は、わが国では東宝・宝塚が上演しています。ウィキペデアには「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世から見初められ、16歳でヨーロッパ宮廷随一と謳われる美貌のオーストリア皇后となるが、伝統と格式を重んじる宮廷との軋轢の中で苦しみ、やがてウィーンを離れヨーロッパ中を流浪する日々を送り、その旅の果てに暗殺された皇妃エリザベートのベールに包まれた半生・・・中央ヨーロッパにおける帝国支配の終焉と新時代の萌芽を描いた作品」とあります。自身は観劇したことはありませんが、宮廷生活に疲れたSisiは、BGよりVGが似つかわしく、かつ、喧騒を避けるように、観光客に気づかれにくい場所で、一人静かに・・・と思えます。
 BGのリング通り北側入口には、絵葉書で著名なモーツァルトの立像Mがあり、バス車窓から見えるので、車窓観光の際は、ガイドさんが必ず乗客に見逃さないようにと説明していることでしょう。
 BGは緑が豊かで、大きな木立に包まれていることもあってか、親しい仲間やカップルが談笑し、上半身を晒して日光浴・読書の情景に出会います。北側は新王宮の裏になり、東には元宮廷植物園だったガラス基調の大きな建物が目に留まります。今はパルメンハウス(地図P)なるCafé-Brasserie-Barで、深夜まで営業(palmenhaus.at/)していることもあり、小生の気に入りスポットです。国立歌劇場を出て2-3分程度の至近地にありますし、連れがいる機会には観劇後に入ります。
 BGには、Sisiの夫、フランツ・ヨーゼフ皇帝の立像があります。組写真を整える際に気づいたのですが、撮影した写真には皇帝の眼差しの方角に、上半身を晒した彼女・カップルが寝そべっていました。皇帝は生涯Sisiを擁護し、愛し続けましたが、何故か、今、Sisiと共に居ません。若いカップルを目にして、「君の名は。」と、Sisiとの出会いの頃を思い出しているのかも・・・。

王宮ゾーンにあるアウグスティーナ教会の正面祭壇(左)と、後方上部の演奏台・パイプオルガン(中)。カプチーナ教会の地下は皇帝一族の遺体安置所:献花が絶えないSisiの亡骸は夫と並んでいる(右)

 パルメンハウスの東側隣接地に、1634年以降(1918年にハプスブルク帝国が終焉するまで)宮廷教会だったアウグスティーナ教会(地図A)があります。マリア・テレジアが1736年に、Sisiは1854年に、この教会で結婚式を挙げています。ここは、今や自身にとって、ウィーンに出かけた際、日曜日11時前からの約2時間を過ごす定番的な場所になりました。日曜ミサを体験研修するためです。
 2012年5月の日曜日にウィーン少年合唱団が歌う王宮礼拝堂(地図H)の、日本人ファンが多い、ガイドブックで紹介されている日曜ミサに出かけました。が、演奏台下の後列“立見席”音響に失望し、中途退出した後、偶然壁面から聴こえたオルガンの響きに誘われ、入って初体験したのが発端です。
※ 参照:本会報 No.404・2013年3月号「ウィーンを愛して(4)教会ミサ~生活に根付いた音楽」
 自身、クリスチャンではありませんが、体験研修は貴重です。ミサの終了前には、献金もし、文字通り“隣人”と、ハグには至りませんが、笑顔で握手をします。終了後には、ウィーン以外から参列されたガイジンさんたちが教会内の写真も撮っておられます。はい。小生も記念に・・・。
 え!具体的に? はい。11時から始まる日曜ミサの15分前頃には教会内に入り、中ほどまで歩み、正面が柱で祭壇が見えない(信者には条件の悪い)空席を見つけて座ります。中ほどまで移動すると、石造りの高い天井の教会ゆえにパイプオルガン、室内オーケストラや声楽などの響きが体に染み入ります。長過ぎる残響音が気にはなりますが、一方、大作曲家もこうした響きを体験し、作曲もしたと思うと、かけがえのない体験になります。後方、演奏台下の入口界隈は、響きが劣るので避けます。
 ところで、見学したことはありませんが、アウグスティーナ教会の地下には、ハプスブルク家一族の心臓が保管されています。肺、胃腸、肝臓などの内臓は、モーツァルトが結婚式をし、葬儀も行われたシュテファン大聖堂(地図St)の地下安置所にあるようです。
 それ以外の遺体は、小さなカプチーナ教会(地図K)の地階にあり、マリア・テレジア夫婦の一際大きく豪華な棺を筆頭に、立派な彫像が施された皇帝一族の棺が並ぶ墓所・納骨堂になっています。Sisiは夫の隣に安置されています。Sisiの棺の前には献花が絶えません。ここを訪れて再々思うことは、日本の臓器移植・同ドナーの現状とオーストリアとの違いです。
 オーストリアでは拒否の意思を表明していなければ自動的にドナーとみなされるという法制度です。日本との文化の違いを体験できる原点が皇帝一族の遺体が、三か所に分けて安置されている事実で、日本人には馴染まない文化です。私はドナー登録制度が始まった当初から、自身の臓器提供の意思表示をし、妻の了解も得ています。が、還暦を過ぎてからは「あらゆる延命手段を望まない」意思表示を妻・子にしています。脳死の診断に至らないので、矛盾があります。昨今の遺伝子レベルでの医学技術の進歩に期して、脳死段階での臓器提供が無用になる時代が到来することを期します。
 アウグスティーナ教会になぜ心臓が安置されているのか・・・。浅学な小生ゆえ、例えば、聖心女子大学は、“徳の高い、清らかな心の女子教育”といったイメージを描いていました。調べました。
 「聖心」とは「イエス・キリストの人類に対する愛の象徴である心臓、またそれに対する崇敬を示すことば」で、後の聖人「マルグリット(1947-1690)が聖堂で祈っている最中にイエス・キリストが彼女の前に現れ自分の心臓を見せた・・・(中略)・・・聖心の信心は、修道院のみならずフランス全土、世界各地に広まるようになった」と学びました。
 「聖心」に係る小生の無知を思うのと共に、宮廷教会であったアウグスティーナ教会に皇帝一族の心臓が安置されている歴史的背景を知り得た思いがしています。
 さらに、パリのランドマークで丘陵地モンマルトルにある白亜のサクレ・クール寺院(1914年に完成)は、「聖なる心臓(聖心)を意味し、イエス・キリストに捧げ、守護として祀っていることを意味する」(ウィキペデア)とあり、Sacré-Cœurが“聖なる心臓”を意味していたとは驚きでした。
※ 参照:本会報 No.412・2014年7月号「パリに魅せられて(6)ラパン・アジルで歌う」
 心が重くなりました。マリア・テレジアとSisiを訪ねて、次は伸びやかに・・・。

シェーンブルンのヒーツィング門にある赤白の旗とプレート(左)。広い散策路(中)では観光馬車との遭遇も。縦横に広がる大小の散策路を包み込むゴールデン・オクトーバーの輝く樹木(中・右)

 オーストリアで観光客が最も多いのがハプスブルク家の象徴と言えるシェーンブルン宮殿。多くはツアーバスで来て、正面門からの出入りです。が、ウィーン自由設計の身ゆえ、今日は小生の好むアレンジバージョンでご案内しましょう。
 国立歌劇場至近のカールスプラッツ駅から地下鉄4号線に乗ります。4号線はウィーン市の北東部、ベートーベンゆかりのハイリゲンシュタット駅から南下し、ウィーン中心部を時計回りに走り、西端にあるヒュッテルドルフ駅を結びます。シェーンブルン駅で降りず、西隣のヒーツィング駅で下車します。
 当駅東南の長い壁の向こうはシェーンブルンの庭園エリアです。壁沿いに南へ少し歩くと、ほら見えてきました。ウィーン市の文化施設に掲げられている赤と白の旗が・・・。ヒーツィング門にある黄金色のプレートには[SCHLOSSPARK]“城公園”と記されています。偶然ですが、観光バスで来たと思える大勢の人が・・・。入口にほぼ横付け的な場所で乗降できる利点を活かしたツアー企画なのでしょう。正面門から出入りする大多数のバスは、かなりの距離を歩くことになりますから・・・。
 多くの観光客は、パリのヴェルサイユ宮殿然りですが、シェーンブルン宮殿の内部ツアーに集中します。立ち止まるのが困難なほどに大混雑する見学を終えた後、時間的な制約から、宮殿の正面にある丘の麓にある豪壮な彫像が美しいネプチューンの大噴水への往復までに留まっています。
 私は、同伴者の希望があれば、緩やかで見晴らしの良い散歩道を、景色を眺めつつ上がります。丘の上には白い未完成の記念碑グロリエッテがあり、中にあるカフェでの休憩は心地良いひと時になります。
 一方、広大な庭園の散策では、伸びやかな居心地の環境を堪能します。宮殿に向けて丘を降りると、右手の木立の中に、人の気配が希少な場所に、宮殿の名の由来となった“Schönbrunn美しい泉”があります。少し寄り道をすることで、静寂・上質な環境に浸れるので、小生にとっては、夜のオペラ・演奏会に向けたひと時を過ごす定番の公園・庭園の一つになっています。広大な庭園でもあり、毎回歩くコースは定まりません。

グロエリエッテに上がる途中の景観:正面にマリア・テレジアが好んだ黄色調のシェーンブルン宮殿(左)。丘から降りた庭園内に“美しい泉”(中) があり、ここから宮殿に向けて歩いて撮影(右)

 さぁ、ボチボチSisi Ticketで宮殿のGrand Tourにお付き合いをしましょうか・・・。そう、同伴の彼女らが、ウィーンを象徴するマリア・テレジアとSisiの理解を深めるためにネ。小生にとっては、モーツァルトゆかりの宮殿ゆえ、観光客でごった返す中、辛抱して(?!)お付き合いしましょう。
 モーツァルトとシェーンブルン宮殿の関係ですか? マリア・テレジアの御前演奏時に、6歳のモーツァルトが当時7歳、後のマリー・アントワネットに「僕のお嫁さんにしてあげる」と言った逸話です。
 モーツァルトの出生地はザルツブルク。ザルツブルクと言えば、ミュージカル【サウンド・オブ・ミュージック】。ザルツブルクへは、ウィーンから特急
Railjetなどで日帰り旅行ができます。行きます?

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