2015年10月12日 ドーハ発関空行の機窓:カラコルム山脈上空~四角柱形の高山(矢印)や氷河
続 ウィーンを愛して(12)往復の機窓風景も研修
アナタと共に行く視点で書き始めた本シリーズ「続 ウィーンを愛して」は2年間の最終回になりました。国立歌劇場でのオペラ、楽友協会などでの演奏会、美術史美術館や公園巡り、そして、近郊の日帰り旅行のみではなく、実は、是非ご紹介し、共感体験をしたい小生の大切な研修があります。
ウィーン往復の機窓風景です。小生にとっては、日本とウィーンなど西欧への往復の機窓風景は、実は、とても大切な、かけがえのない、心躍る生涯研修なのです。
発端は1990年10月29日、第1回鳥取市勤労青年海外研修団員として、成田空港からロンドンに飛んだ際で、40歳で初の海外旅行でした。情報が乏しかった当時、「アンカレッジ経由だろう」「いや、シベリア飛行だ」など、団員間での会話があったのを思い出します。今となれば隔世の感も覚えるのですが、成田空港を発った当時最新鋭の大英航空のBoeing 747-400機が新潟上空・日本海に差し掛かった時点で、「やった!シベリア飛行だ!」と、一人静かに高揚したことを思い出します。
1994年に夫婦で初めてウィーンとザルツブルクを訪れた後、自身3回目の海外は、1997年11月17日、全国自治体病院協議会西欧医療施設視察団員の一員として、成田からの出国でした。この際に、機窓撮影したレナ川の写真を個人のHPにupしたら、熊本の“水”に係る団体、今日のNPOからの求めがあり、使用を許可し、本に掲載されたこともありました。その後は関西空港からの出国が続きました。
2012年5月に、フィンエアーで、関空から初めてウィーンを往復した際は、韓国・仁川空港の上空から黄海を北上し、北朝鮮を迂回して、天津を経る空路でした。2013年5月、Airbus A330-300機の51L席からの機窓は、快晴の鳥取県の海岸線を眺め、何と、隠岐・島後の上空を通過したのです。「え?何故!」と感じた後、そのまま直進・北上を続けたことで、「北朝鮮上空に入る!まさか、テロ?!」との感も抱きました。荒涼とした北朝鮮東部上空を、無事通過したことは驚きでした。2014年5月も北朝鮮上空を往復しましたが、その後の弾道ミサイルの関連でしょうが、現在は再び仁川経由の航路です。
Flight Aware(http://ja.flightaware.com/)の上段枠にヘルシンキ発関空行フィンエアー77便である「AY077」を半角で入れ、[追跡]をクリックすると航路などの情報が展開します。
2014年5月18日 AY077便 ヘルシンキ17:20発 関空08:55着 Airbus A330-300機 51A席。高度約10,000mから快晴の下界を視認しつつの夕景色(左・左中)。バイカル湖上空で夜明け(中)。バイカル湖を過ぎた山岳地帯で日の出(右中)。窓面の氷の結晶と雲海が拡がり再度の日の出(右)
シベリア飛行が白夜になる5月下旬の復路は、快晴に恵まれれば、眼下に河川なども眺めつつの夕景となります。
2014年5月18日、ヘルシンキ経由の復路、機窓からの白夜は、眼下の大地を眺めつつ、①機窓の後方に夕陽を見送り、②水平線が様々なオレンジ~赤色調に染まり、機首方向が群青色になり、やがて、③機窓の横、つまり、北極圏側にオレンジ基調の明かりが残り、気づくと④機首方向の明かりが増し、機の後方が群青色になり、⑤日の出シーンに至りました。
機のモニターでバイカル湖上空に差し掛かると分かりました。幸い快晴で、バイカルの湖面と朝焼けを眺め、日の出を迎えました。陽光が強くなると、撮った写真にノイズが入ります。機が古くなれば、窓の傷もありましょうが、大半のノイズは二重窓間の水滴が氷結し、陽光を浴びた影響です。季節による違いはありますが、機の外は零下50~70℃。機内は乾燥しているとは言え、人が普通に過ごしている環境にあり、二重窓内のわずかの水分が凍って結晶となり、窓枠に付着しているのが常です。接写で、窓面の氷の結晶を、主翼を背景に撮りました。白鳥と想えるなど多様な形状の結晶(組写真右下)です。
_/ _/ _/ _/ _/
ウィーンへの往路に初めて深夜便を用いたのは2014年10月でした。金曜日の通常勤務を終えてから関空に行き、エミレーツ航空は23時半過ぎの離陸で、燦然と輝く博多上空通過時は日が変わっていました。上海上空から南下し、地上の光が乏しい機窓になりました。やがて、大きく広がる淡い灯りに気づき、機内モニターで大都市デリーと確認しました。光輝く博多の夜景との差に驚きました。
機を乗り換え、ドバイからウィーンへの初体験飛行は予想を超え、魅力的でした。
現在は全二階建てのAirbus A380-800機が往復しますが、当時はBoeing 777-300ER機でした。
2014年10月25日 ドバイ発ウィーン行 B777-300ER機窓~イランの上空通過は初体験でした。
ペルシャ湾の北西端(左)。異様な岩石砂漠を眺めつつの飛行(中)。遠方の高山と眼下を望遠撮影(右)
2014年10月25日のEmirates 127便はドバイ09:55発、ウィーン13:45着で、時差が2時間あるので飛行時間は5時間50分でした。搭乗機はペルシャ湾の奥へと飛行した後、右旋回し、陸地へ。最短コースになるイラク上空を避けて北側に迂回し、イラン上空をトルコへ向けた飛行は、快晴にも恵まれ、驚嘆する光景の連続でした。荒涼たる岩石砂漠が、実に多彩な様態を見せながら長々と続きます。小生の国語力では記述しきれませんが、景観の変化は大きく、異形・異様。どのようにして、実に多様な岩石砂漠の形成に至ったのか・・・。人の暮らしを排除する厳しい自然環境であり、一方、緑豊かで、平和な日本との対比を想い、眺め続けていました。
残雪も各所に見られ、崖が崩れ落ちた様子も視認(組写真右12:41)し、望遠モードで撮影(▲)。やがて崩落が進むと、鳥取砂丘のような砂の砂漠になる?・・・。《岩石砂漠の面積は、地球上の砂漠のうち約90%を占める。アフリカのサハラ砂漠では、全体の80%がこの岩石砂漠で、観光写真などでよく見られるラクダの歩いている砂丘の景観は砂砂漠の部分》と学習したのは帰国後のこと(《ウィキペディア》以下同じ)。さらに、遠方に、目を凝らすと「高山だ!」と気づいて望遠撮影。視認した高山は《イランの最高峰5610mの活火山・ダマーヴァド山Damāvandで、カスピ海の南岸、テヘランの東北東66km付近にあり、伝説・神話のあるイランでは特別な山》と分かりました。
一方、眼下には人工的なエメラルドグリーンの構造があり、これも望遠撮影しました(同12:41)。周囲に集落も見えますが、この構造物は何?・・・。
2014年10月25日 次々と驚きの景観に出会ったドバイ発ウィーン行Emirates B777-300ERの機窓
さらに、機窓直下にパレットに絵の具を出したごとくの人工的構造に気づいて(左)、望遠撮影(左中)したのは離陸後3時間弱の12:43。方形に十面以上連なる、地上絵のようにも見える奇妙な人工的構造ですが、これまた??・・・。飛行コースをモニターし、場所概略は分かりますが、今尚未特定です。
美しくも奇妙な湖の光景に目が釘付けになりました。綺麗な薄青色の湖面と、土色に変わるグラデーションは異様で、くびれ部には堰堤と橋を視認し(12:47 右中)、望遠撮影しました(右)。調べると、《イランの北西、国立公園に指定されている同国最大の湖で、塩湖のUrmiaウルミエ湖ないしOrumiyehオルーミーイェ湖。最深16mでいくつかの島は渡り鳥の休憩地となっている。流入する河川におけるダム整備の影響で20年前から水位の低下が目立ち、湖の半分が干上がって湖底が露出。乾燥して塩分が堆積し、周辺農地の塩害や大気汚染による健康被害が懸念される事態》と知り得ました。
岩石砂漠地帯の飛行中、湖水が干上がる要因となる大小のダム湖は散見出来ました。
2015年10月3日、初体験のカタール航空でウィーンに出かけた際、ドーハからウィーンへの景観も秀逸で、魅せられました。機種はANAが世界最初に就航させた愛称“Dreamliner”B787(B787-8)。自身搭乗初体験で、縦長の窓、即ち、眼下の撮影範囲が拡がることへの期待がありました。実際、カメラを機窓に寄せて縦方向で撮影すると、肉眼で視認できる限界を超えて直下が撮影出来ていたのです。
2015年10月3日 ドーハ発ウィーン行の機窓~離陸直後とイラン上空のダム(D)。右は望遠撮影
カタール航空183便(QR183)の飛行ダイヤは、08:50ドーハ発、13:25ウィーン着(時差1時間で)飛行時間は計算上5時間35分。ドーハ離陸後に右旋回し、眼下に人工島と高層ビルが連なるリゾート地区を眺め、日本ではあり得ない環境に心を惹かれました。ドバイのそれは著名ですが、ドーハも増築中の人工島・都市景観もが複数あり、驚いた次第でした。
機は、前年のエミレーツ航空と同様に、ペルシャ湾の奥に進み、イラク上空を避けて、イラン上空へ。岩石砂漠地帯に入って間もなく、ダム湖と分かる湖と遭遇。ダムが視認できたので、望遠撮影しました。アーチ状のダムが撮れていました(10:08 組写真右下)。航路を確認し、Shahid Abbaspour Dam (Karun-1 Dam)と分かりました。ダムは《高さ200m》あり、河川はKārun カールーン川。《長さ720kmあるイラン最長の川で、水量も同国でも最も豊か》と分かりました。
2015年10月11日 ウィーンからの復路、カタール航空QR184便(ウィーン11:10発、ドーハ17:20着。飛行時間5時間10分)も主翼が大型鳥の翼をイメージさせる優雅な曲線B787-8機で、魅せられつつ機窓風景を楽しんでいると、印象深い光景に出会いました。
2015年10月11日ウィーン発ドーハ行の機窓風景~トルコ東部の上空で高山を視認
トルコ最大のヴァン湖と、湖畔の雪を頂く山(▼)。遠方の高山は伝説のアララト山(▲)
大きな湖の上空に差し掛かり、眼下に雪を頂く《トルコで2番目の高さ4058m》のシュプハン山Mount Süphan(▼)が見えました。同時的(13:43)に主翼の下、遠方に高山らしきが!
何と、西欧人が命名したアララト山Mount Ararat (▲)で《トルコで最も高い標高5137m。古代噴火による成層火山で、旧約聖書にある“ノアの箱舟”が大洪水の後に流れ着いた山》と知りました。なお、眼下の湖は《トルコ最大の湖で、古代の火山噴火による堰止湖・塩湖》のヴァン湖です。東岸にVanヴァン市があり、組写真右(13:47)は、眼下にヴァンの街を見降ろしながらの北方向の望遠撮影です。
ドーハ着陸時は夕景の中で、機は約270度の旋回をし、日没を眺めながらの撮影が続きました。
ドーハ発関空行は、日が変わり、12日(祝)深夜1:35発、関空着17:25のカタール航空802(QR802)便。往路と同じく、Airbus A330-200機で、復路ですから機の後方A席での機窓研修でした。
2015年10月12日 ドーハ発関空行の機窓:カラコルム山脈上空~四角柱形の高山(矢印)や氷河
ドーハ離陸時、日本は既に6:35です。が、飲み物と機内食が出た後は、機内は夜の演出が続きます。小生は、毛布を活かし機内に光が漏れないように配慮しつつ、機窓を確認していました。ペルシャ湾からパキスタン上空に向けて陸地に入ってしばらくは雲海が拡がっていました。
通路席の人が席を立ったタイミングで小生も立ちました。やがて、自席に戻り、期待せずに、窓を少し開けて覗いたら、何と予想外に快晴で、山岳地帯が見えていました。
急ぎ、ひざ掛け毛布を頭からかぶって遮光し、眺め続けました。すると、間もなく、白く輝く山々が機窓に迫るがごとくに見えて来たのです。過去に経験したことのない、初体験となる高山群です。
座席のモニター画面を確認しつつ、静かに、しかし、興奮気味に、「カラコルム山脈だ!」と心が躍りました。《世界第二位8611mのK2を筆頭に、8000mを超える峰々、7000m級は60座以上。極地を除けば、世界第2・3位の氷河がある》ことなどを帰国後に確認した次第でした。さて、同定は出来ていませんが、抜きん出ている山(赤矢印)はK2?!との夢想も・・・。
なお、日本時間10時40分過ぎの素晴らしい機窓風景は朝陽に輝いていましたが、機内は夜の演出が持続しており、機窓から主翼を含めて、この景観を研修したのは小生一人だったでしょう。2016年4月以降、カタール航空が関空から撤退しているので、この景観は、わが人生で稀有#になりました。
_/ _/ _/ _/ _/
2017年5月の往路は、約10年ぶりに東京からの出国で、智頭病院仲間(看護師)二人を連れ、羽田からミュンヘン行のANAでした。鳥取空港からの発着は初体験でした。
彼女らにとって初のシベリア飛行は強烈な印象を抱くことになったようです。自身にとっても、初めて羽田空港からの出発でした。機種はB787-9機で、便名はNH217。HPでの購入時に33K席を確保しました。All Nippon Airwaysの略ANA217便でなく、NH?・・・ 2レターコードNHが、ANA前身の社名日本ヘリコプター輸送 (Nippon Helicopter)」に由来すると知ったのは最近のことです。
13:05の離陸で、24分後には、新潟上空を通過し、日本海へ出ました。機首を北方向に転じると、やがて、大陸に近づき、ハバロフスクに向かいます。大陸の海岸を遠望する頃から、期待感を抱きつつ、下界を眺め続けるのが定番の小生です。雲海が拡がっていても、雲間の下界風景を見逃さないように、また、雲海・水平線を眺めつつの“機窓研修”が続きます。
航空管制上のためと理解していますが、東京から西欧に行く機はアムール川(黒竜江)の河畔にあるハバロフスク上空を通過します。1990年10月29日の初飛行時にアムール川を視認し、川幅の大きさに感動した記憶は鮮明です。2017年5月20日(土)も雲間からアムール川と周囲の緑の大地が(羽田空港離陸後1h53m;日本時間14:58;ウィーン時間7:58 組写真左)視認できました。
2017年5月20日 NH217便 羽田発ミュンヘン行 B787-9機33K席の機窓風景~シベリア点描1
アムール川上空(左)。周囲が凍てつき氷塊が流れるレナ川(左中)。奇妙な形(a・b)が相次ぎ、望遠撮影
ところで、晩秋にアムール川が凍り始めると、氷塊が海に流れ出ます。これが流氷となり早春期にオホーツク海、網走~知床半島界隈に流れ着くことで知られています。
機は直進し、緯度を上げて行きます。5月の飛行では、シベリアの大地は、中小河川は氷結したままですが、大河は溶け始めた川面が視認できます。えぇ、関心を抱く初体験の人は、大きく蛇行し続け、三日月湖も多く視認できる河川と凍てつく荒涼たる大地の光景に驚かれます。
中学校で北極海に注ぐ「シベリアの三大河川は(西から)オビ・エニセイ・レナ」と学びました。小生の地理好きは、地図帳に端を発していると認めます。大蛇のごとくに見えるレナ川(雲間からの視認であり、おそらく支流・・・)は、溶け始め、氷塊を浮かべていました(左中)。
えぇ、前の座席背もたれにある液晶画面で、航路・位置などの情報を常に見ています。雲海で下界が覆われている際は別として、多少の航路の違いで、機窓からの下界風景は毎回異なります。
今回の往路でも、「何じゃコリャ?!」的な形状に気づき、望遠撮影もしました。自然の造形ではなく、明らかに人工物です。相次いで2か所、同様の形状を視認(a 10:47、b 10:48)しました。機は時速約900kmで飛んでいるので、両者の距離は単純計算で15kmほど。地理で学んだ露天掘りの炭鉱?! 答は見出せていません。
機が北上し、凍れる北極圏に近づいた頃にも、心躍る景観に次々と遭遇しました。
2017年5月20日 NH217便 羽田発ミュンヘン行 B787-9機33K席の機窓風景~シベリア点描2
北に河岸段丘、残雪、大河の中で大きく蛇行する流れと、溶け始めて色調の異なる副流と思しき多様な紋様、南には流入河川と思える葉脈構造など、極めて複雑な形状は大河エニセイ川?(17:58 左)。
日本なら外輪山的形状に囲まれた窪地の中央に砲弾状の台地状地形は何なの?(18:15 左中)。
大きめな凍てつく河川と白く美しい雪に覆われた山岳地帯(18:50 右中)。
蛇行し氷結した流入河川が多い大河の中央に伸びる直線と一部氷解した暗緑色の帯状部分。直線は厳寒期の氷上の道路? 黒灰色の班は白い大河の川面に映る低層雲の影です(19:08 右)。
息を呑むがごとくに見続けての撮影で、一期一会の感動的な機窓が毎回展開します。
- - - - -
往路とは全く異なる光景に出会う復路。5月のシベリア飛行は、白夜状態での光のショーになります。
“機窓研修”のためには、順光になる窓側席の確保が大命題になります。旅行業者で格安航空券を購入する際や、ツアーの場合は、購入時に座席指定が出来ないと認識しています。一方、航空会社HPでは購入時に座席指定が可能になります。とくに、大陸飛行の際は、往路は機首の右側、復路は同左側のA席で、各々機の後方席を指定します。主翼を含めた水平線や地上の景観を眺め続け、撮るのです。
自身にとって、西欧への往復は体力検定をも兼ねています。往路は+7時間の時差ですが、エミレーツ航空での初めての夜行便での移動の際は、ウィーン国立歌劇場で睡魔と闘いながら喜劇オペラ【愛の妙薬】を体験した後、現地の23時半頃に就眠。それまでと比べて、疲労感が強かったのですが、帰国後に計算したら、通常勤務の金曜日は5時半頃の起床で、夜に関空を発ち、機内で起きていて、翌土曜日の23時半頃に就寝で、計算すると(24-5.5+7+23.5=)49時間起きていた!
以降、深夜便で出国の際は、水平線や下界の光が乏しくなると、仮眠を心がけています。が、大切な光景を見逃さないように、短時間睡眠の繰り返しになります。
ウィーン等に毎年出かけるようになった発端は、還暦年以降であり、不在時の外来診療支援をいただいて実現していることを承知しています。感謝しつつ・・・。
2017年5月29日 NH224羽田行B777-300ER~印象的な夕景とシベリア上空の日の出:37A席
フランクフルトからの夕景の雲・色彩が印象的だった(左・中)。日の出は見逃せない機窓風景です(右)
荒ぶる海など、自然の光を描いたターナーなどの画家が、これらの機窓風景を描いたら、どんな絵画に昇華しましょうか・・・。
#:関空発着の深夜便は、現在エミレーツ航空のみです。同復路は、自身が体験した際は、インド上空経由(南回り)路線でしたが、現在はカタール航空で体験した際と同様、パキスタン北部上空、つまり、カラコルム山脈上空を通過する航路もあるようです。或いは、カラコルム山脈上空通過が追体験できるかもしれません。