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秋田小町

ワインと地酒

プロローグ : お酒が苦手な小生 
 自身は、現出雲市(当時は、平田市)平田町の町中で出生し、育ちました。同級生が居る近所のお家が酒屋さんであり、当然、日本酒を扱っておられました。遊びに行くと、プーンと日本酒の匂いがし、コップ酒を飲んでグダを巻いている大人と遭遇し、また、お正月等で親族が集まると、これまた日本酒を飲み、酔った勢いで羽目を外すような状況がありました。子ども心に、日本酒に対して良い印象を持ちえませんでした。

 大学に入り、ヨット部に所属し、冷酒を丼で飲まされました。吐きました。しんどかったです。これまた、日本酒に対して、マイナスイメージを強化することになりました。
 両親共にはお酒が弱く、小生もアルコールが入ると、直ぐに顔が赤くなり、しんどくなります。で、やがて、オネム調に陥ります。
 大学では、瓶ビールも飲みましたが、苦くて、美味しいとは感じられませんでした。

 が、いつしか、アルコールに慣れ、30歳を過ぎた頃から、当時の徐々に浸透しつつあったワインブームもあり、かつ、中病宿舎近くの酒屋さんがワインに凝っておられたこともあり、着実に馴染んで行きました。かつ、ビールも生ビールを美味しいと感じるようになりました。が、日本酒はダメでした。
 ワインは「白」、ドイツ・オーストリア系のリースリング種を美味しいと感じ、生活に定着するようになりました。

「日本酒~地酒~冷酒」との出会い 
ジャパンエキスポ鳥取 '97 山陰・夢みなと博覧会 
 平成 9年 7月12日(土) から 9月28日(日) 79日間  「日本酒~地酒~冷酒」との出会いは、思いがけないチャンスが発端となりました。それは「夢みなと博覧会」でした。
 太平洋側に負けじと、環日本海を唱え、何と、秋田から米子まで役1日かけて特別列車を走らせ、全国から公募して乗客を募るイベントでした。鉄道のなかった時代は、江戸時代から北前船が日本海を航行し、各地の産物を届けていました。これを基に発想された特別列車で、その主題が、「日本酒・地酒」だったのです。

 何と、北海道や沖縄まで、全国からの応募があり、寝台車8両と間にイベント車両2両をつないだ特別列車に医師がとの必要だとの要請が仲間から小生宛に届いたのです。
 面白い体験になるとのヨミをし、若い医師に勧めたのですが、応じるモノがおらず、自身が年休を取得し、出かけたのでした。

 午前中の外来を済ませ、休暇を取り、午後のANA機で、羽田空港に降り、30分のトランジットで秋田空港行きに搭乗したのです。
 羽田⇒秋田便は、当時、最新鋭のB777で、初めての搭乗機会になりました。機内が広く、感激し、今でも自身が好む機種です。
 秋田空港からバスで市内に移動し、前夜祭的フォーラムに若干遅刻して出席しました。北前船で日本海側の港を結ぶ交易が主題のフォーラムでした。

 そして、翌朝、8時出発の特別列車に乗車する前、秋田駅で出発式がありました。

 

二人の「秋田小町」さんとの記念写真

 全国に名を馳せる「秋田小町」 ~ 二人の「秋田小町」さんとの記念写真が、たまたま残っていました。(スキャナーでデジタル化しました。)

 当然のように!(他の多くの参加者と同様に)記念写真をお願いした次第です。小生が唯一の医療班員・医師であることもあってか、快くトリオでの写真を撮ってくれたのですが、撮れた表情は・・・迷惑そう?

 本題です。地酒列車には、何と200銘柄の地酒が持ち込まれていました。そして、小生も、ちびりチビリと、いつしか少なくとも20銘柄を試飲、ないし、一部は気に入って、お代わりを繰り返した次第でした。

 沿線の主要駅に停車し、イベントをし、各地のキャンペーン・レディが各区間を乗車する。イベント車両では、懇親や講義などが繰り返され、何よりも、各地の地酒を愛飲しつつ、歓談するといった状況でした。

 富山では、立山連山からの豊富な湧水を活かした地酒が、古米(赤米)で造った地酒が印象的でした。 前者は、法的に必要だから検出可能な最小限の消毒薬が入った水道水で造った地酒も! 後者は、赤米を農家に依頼して栽培する経緯、他人から揶揄されたりなどの苦労話もありました。

 当時、白ワインを愛好していたのですが、地酒にも土地、水にちなんだ文化があってのことだと初めて知った次第でした。

智頭町 諏訪泉酒造 ~ 鵬 ・ 満天星 

 小生は旅行が好きです。以来、各地の地酒を、文化を嗜む(たしなむ)ことも趣味の一つになりました。
 はい。今でも量はダメです。が、日本酒・地酒を語り、愛好することはOKです。
 いつか、あなたともご一緒して、そう、Viva!地酒!を語りましょう。

 ところで、地酒列車は、福井辺りで深夜になり、小生もイベント車両を後にして寝台車に移動しました。列車は約24時間かけて米子駅に到着しましたが、小生は湖山駅で降ろしてもらい、病院に向かいました。
 なお、この間、体調不良等での診察は3名あり、医療班としての責任を果たした次第でした。 


エピローグ : またの機会も! 

◎ 国民健康保険智頭病院は、鳥取県智頭町にあります。智頭町のお水は美味しいです。
 お米も美味しいです。そして、地酒もとても美味しいですよ!!

◎ 機会があれば、こうしたイベント列車に、また乗車してみたいですネぇ!(^_-)-☆ 
 どなたか、声をかけてくださいネ! きっと、馳せ参じます!

 “満天星”をチビリチビリと愛飲しつつ、記憶に頼っての記述 : 2008年2月13日 11:36:11 PM

 

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 秋田小町のお二人に挟まれた小生の頭髪・・・ 必ず話題になります。父・父の弟3人が皆白髪で、かつ、励まされた(禿増された)人生でした?! この遺伝子の影響で、小生も若白髪で、染めていたのです。1998年12月の県民ミュージカル【茜~飛天】に齢数百歳のヤツミミ役で出演したことを端緒として、同年秋から染めるのを止めました。頭髪の量?!ハイ。子どもたち・保護者、職場仲間などから、励まされた人生だったのでしょうネ!今では、しっかりと禿増されてしまいました。前頭・頭頂部は髪の量が稀有ですが、何故か、側頭・後頭部はさほど減りません。散発しないと、それこそ“お茶の水博士”・・・

 今になって[秋田小町]を調べたら・・・ そうか、秋田県湯沢市に「小町まつり」も!平安時代の女流歌人小野小町は・・・ 歴史にも疎かった! あと約2週間で、平成から 令和 の世になる。万葉集が礎となっている 令和 と小野小町 / 浅学者の身です。

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 24時間当直明けの2019年4月15日(月) 7時過ぎ / 検食待ち

 思い出の記録は・・・ わが人生の[終活]活動の一環ともとらえることが出来るかもしれませんネ

 なぜ、[ウィーンを愛して]に本稿を入れた?!

 ウィーンで“ジゲ産”の白ワインを楽しみにしているからです。

 今年・2019年5月も10日(金)勤務終了後に関空に向かいます。そう、機内でもワイン!

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