上段から、世界文化遺産のシェーンブルン宮殿と庭園、宮殿奥の戦勝記念碑グロリエッテ。登って振り返った宮殿とウィーン市街、庭は手入れ中
ウィーンを愛して(3)ベートーベンの小路とホイリゲ
上段から、カーレンベルクから南側に広がるウィーン市街とドナウ川(D)、ハイリゲンシュタットに下る散策路、ワイン畑沿いの向こうに国連のあるビル群(U)、振り返って見たカーレンベルク(K)と散策路(→)とゴッホの絵に在りそうな光景
Beethovengangにて :西端にあるベートーベンの胸像、小川沿いの散策路(写真の左側ゾーンは高級住宅街)~ 我々は右側の木立に覆われた土の散策路を歩いた。Eroicagasseとの交差点にあった案内板、彼女は表情を変えずに走り去った
上から、エロイカ通りに面したホイリゲ・マイヤーの正面、巡らされた葡萄の蔓が嬉しく、心地よく憩える中庭(同志が撮影)、大きな木立が多い界隈の高級住宅街
ベートーベンの交響曲第6番『田園』は1806-7年に作曲されている。
第2楽章「小川のほとりの情景」は、“流麗で長閑なメロディーにより小川のほとりの情景が表現され、楽章を通して小川のせせらぎの音が弦楽合奏で奏でられ、曲の終結部では夜鶯や鶉、カッコウの鳴き声が木管で模倣される”(ウィキペディア)。『田園』の第2楽章を作曲するヒントになったのが、ウィーン市北方にあるハイリゲンシュタットの森であり、丘状になっている森の中をドナウ川に向けて流れる小川沿いの散策路とされ、音楽の教科書などに出てくる逸話・挿絵を思い出す。
ハイリゲンシュタットにはベートーベンの小路(Beethovengang)の名称が現存している。さらに、交響曲第3番の愛称は『エロイカ(英雄)』だが、東西のBeethovengangと南北に交叉するエロイカ通り(Eroicagasse)と名付けられた車道がある。そして、転居を繰り返し、難聴を苦に書いたとされる「遺書を書いた家」などが現存し、また、ベートーベンが暮らした家の一つが、現在、ホイリゲ(新種のワインと郷土料理などを出す庶民的な店~レストランと言うよりはウィーン風居酒屋)となっている。
となれば、ハイリゲンシュタットはベートーベンを敬愛する同志と小生にとっては欠かせない探訪地である。組写真3a
2012年5月20日(日)午後、国立歌劇場前からTram D に乗車し、ハイリゲンシュタット方面に移動した。最初にめざしたのは、標高484mのカーレンベルクで、途中で路線バスに乗り換えて向かった。
トラムを降りて、バスに乗車したのは13時半近くだったが、バスの車内は、家族連れ等で非常に混み合っていた。ホイリゲが並ぶグリンツィングを緩やかに登った後、ヘアピンカーブと急勾配を登ってカーレンベルクに到着。ウィーン市内がおおよそ海抜200mゆえ、250mは登ったことになる。ということは、帰路ワイン畑を抜けて歩くと決めていたので、適度のハイキングとなる。
展望所には、売店・レストランがあり、ウィーンの街・ドナウ川等を俯瞰できる展望所は賑わっていた。南から吹き上がる風を受けつつ、ウィーン市街を眺めた。ドナウ運河、シュテファン寺院・・・。
カーレンベルクをハイリゲンシュタットに下るルートの始まりは森の中を歩く。木漏れ日と小鳥の囀りを聴きながら、やがて広いワイン畑ゾーンに出る。登ってくる人たちと挨拶を交わしながら下りていく。
途中、ワイン畑の中にレストランがあり、戸外の椅子・テーブルで多くの人が寛いでいる様に誘われたが、「いや、俺たちはホイリゲ・マイヤーで休息するのだ」と思いつつ、歩を進めた。所々で、景色が開け、ドナウ川向こうの新市街には国連のあるビル群(写真U)も視認した。或いは、思わず「ゴッホの絵!」を思わせる光景にも出会い、嬉しくなった。ゴッホはウィーンには無縁だが・・・。(ブリューゲル等で著名なウィーン美術史美術館にもゴッホの絵はなかった。)組写真3b
ワイン畑沿いに下ると、今や高級住宅街になっているハイリゲンシュタットに至った。木々が多く、立派な個性豊かな住宅が連なってくる。間もなく、地図でイメージした通りの距離感で小川・橋に差し掛かった。ワイン畑沿いに降りたカーレンベルグ通り(Kahlenberger Strasse)から左に折れる(東進)と木立の中の遊歩道、即ち、Beethovengangがあり、至近地に見覚えがある風貌のベートーベンの胸像があった。
森の中、小鳥の囀りと水音、木漏れ日と川面の光を感じ、今、Beethovengangに居るとの実感を抱き、散策する人と挨拶しつつ歩いた。気分は学生、いや、身も学生?・・・ゆえに、わざと遊歩道から外れ、小川に接近してブッシュの中を歩き・・・。急斜面に至り前進不能で、斜面を上ると個人住宅の敷地だった。フェンスに覆われており、仕方なく戻り、小川を飛び越えてなど、夫婦では味わえない、弥次喜多コンビならではのアブナイことも体験(研修)し得た。若いステキな女性(?)となれば、風景の彩に含めて、シャッターを押すのも定番?!組写真3c
心地良い汗、足に感じた若干の疲労を癒す目的も兼ねて、一旦、BeethovengangからEroicagasseを南に折れ、至近にある念願のホイリゲ・マイヤーに入って、しばしの休息とした。
夏日であったが、湿度が高くないので、葡萄の蔓で覆われた中庭は爽やかで心地良かった。アルコールには弱く、すぐに顔が赤くなる小生だが、ホイリゲ・マイヤーのぶどう畑由来の新種白ワインは(夜のオペラまでには確実に醒めるので)勿論味わった。水分摂取を兼ねて、今日のスープ(Heute Suppe)を、同志は野菜サラダを注文した。お互いに試飲・試食するのも学生さんならではのこと?!
2011年ロンドン、2012年ウィーン然りだが、生野菜は朝のメニューにまず出てこない。二つ星ホテルのロンドンでは野菜は皆無、(最安値でゲットした)由緒ある四つ星ホテルのウィーンは、朝食内容は(小生基準で)豪華だったが、生野菜は赤・黄の生パプリカのみで、温野菜は皆無だった。同志がパプリカを食べるので、日本ではまず食べない小生も少々・・・。野菜に代わる食材では、果物類(生・乾燥)、穀物フレーク・ナッツ類が多彩で、朝食ではヨーグルト・牛乳と共に、これらをしっかりとお腹に満たした。
ホイリゲ・マイヤーを出た後、再度、Beethovengangに戻り、東に歩いた。トラムD線の北端(ループを周り進行方向を変える)駅からウィーン市街に戻り、この夜は国立歌劇場でヴェルディのオペラ【椿姫】:聴き慣れた音楽・アリアであり、昼間の疲れも災いしてか、眠気と格闘しつつの“研修”に陥った。
ところで、ホイリゲでは、夜になるとアコーディオン・バイオリン等でウィンナー・ワルツなどを演奏し、口ずさみ・・・とガイドブックにある。夜のハイリゲンシュタットのホイリゲは、今回はオペラ・演奏会を毎夜購入済だったので、体験できなかった。後日、国立歌劇場終演後に至近にあるアウグスティーナケラーに入った際に、アコーディオンの音が聞こえ出したので期待したが、盛り上がりを欠いた。客層が上品過ぎて、ノリが悪かった?
ホイリゲの夜のイメージは、集った人たちが雰囲気を共有し、歌い合うといった雰囲気なのだが・・・。われわれのテーブルにアコーディオンを抱いた彼が来て、「日本人だろう!」と何やら和製メロディーを演奏したのは是としても、盛り上がるわけもなく、かといってテーブルを離れることもなく、怠惰そうに奏でていた。何のことはない小銭を要求してのことで、ガッカリ場面だった。となれば、ホイリゲのメッカといえるハイリゲンシュタット界隈の夜の雰囲気は・・・?! 仮に、後年ウィーンを再訪するとしても、間違いなく、オペラ・演奏会なので、夜の“本場ホイリゲ”体験は出来ないかなぁ?
ともかく、好天に恵まれ、朝から夜まで多種多様な自主研修が達成できた日々には感謝至極でした。
(2012年12月6日)