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〔鳥取大学医学部同窓会誌に掲載〕/2003年4月 記

演 劇 体 験

大谷恭一(学23・昭52年卒

1990年1月

米子公演

 “文化の国体” と称される「第17回国民文化祭 “夢フェスタとっとり”」が2002年秋、鳥取県で開催されました。皇太子殿下・妃殿下をお迎えしたオープニングセレモニーの後に「交響詩とっとり」が上演されました。それは、ダンスと映像で織りなし、ストーリーは1998年に上演された創作ミュージカル「茜~飛天」が基になっていたものです。
 以上を紹介したのは、巡り合わせに驚いているのですが、両企画に“代役”出演したからです。 
 演劇体験は小学校6年生の時が最初で、次いで、1975年秋、当時学3の錦祭において、記念講堂で演じた程度でした。学生時代にはマンドリンを演奏し、いつしかクラシック音楽にも馴染み、数年毎に開催される年末の「第九」での合唱(バス)参加が定着していました。
 一方、ミュージカルに関しては、高校時代に映画「マイ・フェア・レディ」に魅せられ、1993年7月に「キャッツ」のステージに触れて感動し、劇団四季の会員となり、学会出張の際などに、観劇体験を重ねていました。機会を得て、一度はミュージカルに出演したいとの思いが潜在していたのです。 

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 1998年7月、ミュージカルへの出演依頼の情報が妻を介して入りました。申し出を聞くことにし、台本が届いてみれば、妻は「あなた大変よ!台本の最初に書かれている役」だと。それは、1997年12月、地元紙に、「県の主催、創作ミュージカル、オーディション」等と紹介された企画でした。天女の羽衣伝説と、鳥取の地名伝説を絡めた創作ミュージカルであり、主役は、天女~里人~白鳥と変身する“茜”です。舞台廻し役が“ヤツミミ”なる齢数百歳の超人で、都の大王もひれ伏すという設定で、そのヤツミミ役を急遽仰せつかった次第でした。
 マラソンに例えれば、折り返し地点に至って、急遽、代役というわけです。オーディションによるヤツミミ役の方が仕事の関係で継続できなくなったということでした。自身、再々練習に参加出来るはずもなく、演劇界で著名な方が来鳥される土・日の日程には極力参加することとしてお受けした次第でした。それにしても、ソロが4曲、出番・台詞も男性では最多の役でした。
 通勤途上、半畳の個室などで練習を重ねつつ、やがて、本番の前々日になり、指揮者が「音合わせをしましょう」と。で、音程が狂う個所があるとの指摘・・・。時すでに遅しでした。本番では、練習で間違えたことのない台詞が出てこないなどの“頭が真っ白”になるという貴重な(?)体験もしました。
 翌年1月には米子コンベンションセンターでの公演もこなしました。米子公演後に、主催者として舞台挨拶された西尾知事(当時)から「すばらしい声だ」とのお褒めをいただき、求められて記念写真(冒頭)。
 後日、公演のビデオを視聴しますと、音程が

・・・ (皆様の想像に委ねます)。

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 2002年8月、県の企画課から依頼が飛び込んで来ました。本番まで2か月ないという時期に、都の大王役の方が体調を崩され、小生に代役をとのことでした。地元演出家と大王役のお二方が、小生を推薦されたようでしたが、同年は鳥取県立病院の組織改革があり、それまでの小児科の責任から、医療局長としての責務を担うことになった状況もあり、躊躇しました。が、院長、病院事業管理者は「面白いじゃない!受けてみたら」との話。ならばと、お受けした次第でした。
 あらすじは「茜~飛天」を基にしていましたが、NHKエンタープライズが参画し、一新されていました。歌は合唱に限られ、ダンスが主体であり、台詞は大王と皇子のみでした。大王の振り付けは決まっておらず、大王に関わりのある后や皇子の立ち位置などを、自身で設定し、台詞も改変・追加して、演じた次第でした。 
 さて、鳥取の地名伝説はこうです。言葉が話せないで育った皇子が、優雅に飛ぶ白鳥を見て、「鳥が飛んでいる。あの白い鳥が欲しい」と話します。大王の命を受け、猛者が捕らえたところ、それは白鳥に姿を変えた茜だったのです。縁あって宮殿に入った茜は、献身的に皇子に尽しました。時が流れ、都の大王は「茜には本当に感謝の気持ちで一杯だ。皇子はすっかり健やかになった。この喜びを後々の世まで語り伝えるために、トリを捕らえたこの土地に名を名づける! 茜・・・白鳥・・・ !トリを捕らえたこの土地ゆえ、トトリと名づける!」と力強く言葉を発します。

 “トトリ”がやがて“鳥取”に至る過程を合唱で歌い上げます。そして、茜は天女となり、天を舞うのでした。

 ところで、「トトリと名づける!」との台詞があってオーケストラが次の曲を演奏するまでの時間の空白に気づいたのは、本番前日でした。それまではカセットテープで継ぎ接ぎの練習であったため、空白に気づかなかったのです。NHKのプロに、「名づける!の台詞の後、仁王立ちのままストップモーションで良いか」と尋ねたら、「良いですね。是非、大見得を」とのこと。まるで歌舞伎です。で、本番ではこの台詞後の大見得に、客席から拍手が出たほどでした。名無しから始まった紹介パンフでしたが、本番のプログラムには、「大谷恭一(演劇:大王役)」と紹介されるに至った次第でした。後日、思いがけず、片山善博知事からの感謝状をもいただいた次第です。思いもよらなかった貴重な演劇体験となりました。この後も代役での機会があるのでしょうか・・・。密かに機会をうかがいつつ、劇団四季の発声法の練習を重ねましょう。
 

*蛇足 : 劇団四季の発声法は、腹式呼吸は当然として、他に二つあります。まずは“母音法”。これは、子音を外して、母音だけで台詞を練習する方式です。例えば、“トトリと名づける”は“おおいおあうえう”、“医学部同窓会”は“いあうう おうおうあい”となります。そして、“あいうえお いうえおあ  うえおあい えおあいう おあいうえ”と一音ずつずらして発生します。“かきくけこ きくけこか くけこかき けこかきく こかきくけ”・・・。興ずれば、“りゃりりゅれりょ りりゅれりょりゃ りゅれりょりゃり れりょりゃりりゅ りょりゃりりゅれ”まで進めます。

 これらは、講演、テレビ等において、役立っていると自認しています。
 皆様もチャレンジをいかがでしょうか? そして、“演劇体験”をも!

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2019/4/15(月) 24時間当直の深夜帯に再構築

以上は1998年12月20日・鳥取、1999年1月・米子 2公演の写真集

都の大王(小生)と妃、皇子

プログラム
知事の感謝状

2002年10月の体験から17年目、古希を迎える歳にあっても、秘かに・密かに、代役依頼が入ることを待っている身です。と言っても、智頭に居て、古希になる年齢からして、誰も小生に依頼をすることはあり得ないでしょう。勿論、代役が必要になる危急事態が1998年、2002年に続いて、マタモヤ!と言うこと自体あり得ないことです。

梨花ホールの舞台には、3年毎の「第九」演奏会の際に、Bass 合唱パートで参加させていただくことにします。2019年は12月22日(日)が「第九」本番! 既に、内々に“古希記念”としての参加意思を示しています。

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